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若者が狂いだした現代社会はどこへ向かっているのか?

将来を担う若者の悲惨な事件が起きました。
2000年代になってから、とても信じられない事件が見られるようになり、やはり社会環境というものが関係しているのではないかと考えたくなります。

いくら社会に不満があっても、また壁にぶつかって失望しても、殺人という一線を簡単に超えることはできないはずであったのに、いとも簡単にその一線を越えてしまうのは理解に苦しみます。

今回の若者による障害者殺人事件も、なぜその一線を越えることができたのか不思議です。
自分を制御する力が衰えているのでしょうか?
自分の一生を台無しにすることは、落ち着いて考えればわかったはずです。

将来を悲観したのでしょうか?

犯人は教員志望だったといいます。
教員になれなかったことで不満が鬱積していったのでしょうか?

障害者施設でも徐々に社会への不満が高まっていったのでしょうか?
たぶん普通の家庭に育った若者には過酷な場だったのかも知れません。

どこかで思考がねじれてしまったのでしょうか?

オウムサリン事件も普通の若者だった人達が起こした事件です。
佐世保でも少女による悲惨な事件がありました。

また世界各地のテロ事件も若者たちです。

いろいろ理由はあるでしょうが、悲惨な結果を生み出す前に、止める手立てはなかったでしょうか?
親や兄弟姉妹がいれば、事前に相談することもできたはずです。
そうでなくても友達が、そういう役割を果たせたはずです。
今回の犯人も過激な言動や行動が、事前に確認されています。

そして一旦は、不穏な行動をとったということで、警察にも連絡があり、精神保健福祉法により強制入院したとあります。そのとき大麻の陽性反応も出たそうです。
もう尋常でない精神状態にあったと推察されます。

そうなる前に、彼の思考を真っ当にさせる手立てはなかったでしょうか?
強制入院ではどういう処置がされたのでしょうか?

今回の事件で思うのは、周囲の普通の人間が突如変心してしまう怖さです。

定年退職した私は、最近普通の日に街を歩くことが多くなりました。
昼間にお年寄りや子育て中のママさんたちがいるのは普通ですが、気になったのはお昼前なのに高校生風の若者が何人かいることです。
彼ら彼女らは大丈夫だろうか、と気になったりします。
ネット社会で情報があふれていますが、本当に大切な時期に自分自身をどのように考えているのだろうか?
青春はある意味いろいろ考え悩む時期でもあります。
その悩みを聞いてあげてサポートしてあげるのは大人達でもあります。
しかしその大人達が、若者に向き合える余裕が無くなってはいないでしょうか?

地域社会を健全に保つのも大人達の責任だと思います。

これからもっと街に出て、いつでも若者を見守っているという安心感を与えられるような年寄りになれたらいいかなと思います。


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